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シンガポールの格安ホテル

最終更新日

2015年07月27日

メキシコについて

メキシコは北はアメリカ、南東グアテマラ、ベリーズと国境を挟んでて西は太平洋から東は大西洋、あと巨大ハリケーンが頻繁に襲来することで有名なメキシコ湾に面してます。
スペイン語とかポルトガル語を主に使ったラテンアメリカの最北にあってブラジル、アルゼンチンに続いて3番目に大きい面積を誇ってます。


約一億人の総人口は、ラテンアメリカで2番目に大きいスペイン語圏全体で最大です。
日本語の訳はメキシコ合衆国で、通称はメキシコと呼びます。
昔の人々はアステカ族の守護神ウィツィロポチトリを祀りあげ、国家独立とその繁栄への願いを込めました。
国の国旗は赤、白、緑で構成されてて真ん中の白の部分の国章は「鷲がサボテンの上に白い蛇をくわえている場所に都市設立を」という言い伝えから来ているらしいです。


メキシコ人のほとんどはベラクルス、メキシコ市の人口密度が高い所に住んでいます。
多くの国民が先住民とスペイン系の両方の血を引いてて人口の30%は先住民で独自の言語を話す人が南東部に数百万人もいるそうです。
メキシコは3141キロにもなっている国境でお隣のアメリカなどの国と結ばれています。

メキシコという国

数ある石油産出国の中でも世界的に有名で、政府の財源の3分の1が石油と天然ガスです。
アメリカに石油を輸出する代わりに加工品や食品の輸入をしています。


メキシコは鉱物資源が豊富で、銀とか銅、硫黄に鉛、亜鉛が有名です。
他国から来た工場所有者は低コストで事業ができてメキシコ人は職を得られるという仕組みになっています。
ですが、貧困によって国境を越えてアメリカに職を求めようとするメキシコ人が多いです。
ちなみにアメリカに不法に入国したメキシコ人はなんと500万人に昇っています。


DATA
人口…1億863万人(2010年IMF)
面積…196万平方キロメートル(日本の約5倍)
首都…メキシコ・シティ
民族…欧州系と先住民の混血が60%、
先住民30%
欧州系スペイン系等9%
その他1%
言語…スペイン語
宗教…カトリックは国民の約9割
政体…立憲民主制の連邦共和国
元首…フェリペ・カルデロン・イノホサ大統領
議会…二院制
行政府…国民行動党(PAN)政権
首相は無し
外相はパトリシア・エスピノサ・カンテジャノ

メキシコ料理について

●トルティージャ
トルティージャとは、トウモロコシの粉を練って薄く円状にのばして焼いたものです。
それに肉などを挟むことでタコスになります。
日本のトルティージャは小麦粉の量が多く、パンやインド料理のナンに似た印象を持つ傾向がありますが、メキシコのトルティージャはトウモロコシ100%のものが多く、その味や食感は全く異なります。


このトルティージャこそがメキシコ人の主食であり、メキシコ料理の核となるものなのです。
メインディッシュと一緒にトルティージャをそのまま食べるほか、トルティージャに肉を挟めばタコスに、油で揚げるとトスターダス、辛いソースに浸せばエンチラーダと料理の幅も広いです。


●サルサ
サルサソースはメキシコ特産のソースです。
僕も辛いものが好きなのでサルサソースには興味があります。
サルサソースはメキシコが原産のようですが、アメリカ南西部や中南米でもよくサルサを作ったり、使ったりしているようです。
サルサソースのベースの食材は、あの辛さの元である唐辛子と酸味のトマト、レモン汁です。あと必ずサルサソースに入っているといったらコリアンダーですね!


このソースはメキシコでは、ありとあらゆる料理のソースとして使われています。
メキシコに旅行をした時にも、あちらの主食はトウモロコシで作られたパンのような物にもたっぷりとサルサソースを付けて食べていました。
あとジャガイモなどを茹でて、そのものにサルサソースをかけた物がオードブルとして出される事が多いようです。 

タコス

トルティーヤという丸い生地で具材を挟んで食べます。
日本では揚げたハード・シェルや小麦粉から作られるフラワー・トルティーヤに具材を詰めたり包んだりしたものが一般的ですが、これらはTEX-MEX(テキサス・メキシカン)と呼ばれるアメリカのタコスです。
メキシコでは、白いトウモロコシの粒から出来る15cmくらいの柔らかいトルティーヤがタコスに使われます。


TEX-MEXのタコスよりもとても香り高く、民族色の豊かな食べ物です。
今ではメキシコでも手作りでトルティーヤを使うタコス屋さんは少なくなってしまったようです。
食べ方は、ライムを絞って、サルサやハラペーニョをかけて手でしっかりはさんで食べます。

メキシコの文化

●憲法広場(ソカロ)
メキシコ市の中心にはソカロ(憲法広場)と呼ばれる大広場があります。
この広場は、スペインに征服される以前はアステカ王朝の中心地でした。
神殿がそびえていた場所には現在はソカロの北側にある中央寺院に接して旧アステカ王朝の遺跡が発掘されたものが一般公開されています。
東側には大統領政庁があり、南側には市庁舎、西側には植民地時代の建物などがこの広場を囲んでいます。

●テンプロ・マヨール
テンプロ・マヨール遺跡の象徴的建物である双塔のピラミッドは屋根にかかっており、真ん中にはチャックモールと呼ばれる心臓を捧げる台座があり、ここで就業儀式が行われていました。
そこで建物の傾き具合に注目してみると少しずつですが沈んでいるのが分かります。
メキシコシティはもともとは湖の上に建築されたアステカ帝国の上にスペイン人が築いた都市で、地盤が泥のようなゆるい状態となっており、遺跡全体が周りの建物よりも沈んでいるのが訪れてみて分かると思います。

テンプロ・マヨール博物館
メキシコ市の中心部ソカロ(憲法広場)に隣接した、アステカの大神殿遺跡は1978年に発見されました。
小規模なテンプロ・マヨール遺跡は20分でその一周を回る事が出来ます。
そして一周し終わった先にはテンプロ・マヨール博物館があり、とても充実した設備が整っています。
4階建てからなる博物館は2階から1回の巨大模型、4階から3階の石版が見えるなどアトラクションのような造りをしています。
テンプロ・マヨールで発掘されたものはもちろん、周辺の遺跡との違いや歴史について知識を深める事が出来、多数の出土品が展示されています。


DATA
休館日…月曜日
入館時間…午前9時~午後4時30分

独立記念塔

独立記念塔は、1810年〜1821年の間続いたメキシコのスペインからの独立戦争を記念して建立された塔です。
1902年にポルフィリオ・ディアス大統領により着工され、1910年独立戦争勃発100周年を記念した除幕式が行われました。
塔の台石は四方形で、各々の隅に「法」「正義」「戦争」「平和」を表すモニュメント、またメキシコ独立戦争の英雄であるイダルゴ、モレーロス、ゲレーロ、ミナ、ブラーボの像が立っています。
塔の高さは36メートル、頂上には重さ17トン、全長6.7メートルからなる独立の象徴であるエンジェルの金メッキのブロンズ像がそびえ立っています。

メキシコの経済

メキシコ経済をみる上で、最も重要なポイントは米国経済です。
メキシコでは輸出の8割を米国向けが占めており、国内では米国向けの自動車や家電などを作る製造業が盛んです。
対米輸出は全体の8割を占めていて2009年の対米輸出シェアは全体の80.5%に昇ります。
輸入に関しては輸出に比べて米国への偏りは小さいですが、それでも米国からの輸入は全体の48%近くを占めています。
米国輸出の重要性は産業別でみたGDPの構成にも表れています。


メキシコは1982年と1994年に経済破綻してしまい、多くの国民が急激なインフレや失業に苦しんだといいます。
国際的金融市場のマネーが利益を求め、発展途上国や新興国への投資が活発になり、そのマネーが暴れたり逃げ回った結果、ついに悲劇がもたらされます。


1994年のメキシコ通貨危機は、国際通貨基金であるIMFが再建に乗り出したことにり成功した事例のため、その後のアジア通貨危機にも適用され、その国の経済を破壊していきました。
2009年は世界的な景気後退に伴う収入減により財政赤字拡大を余儀なくされます。


・2006年には財政責任法施行後、おおむね財政均衡を達成してきました。
・石油価格の上昇や景気回復に伴う税収増により2010年は赤字が縮小すると見られています。

メキシコ財政の抱えている問題点

①収入の3分の1を石油関連に依存していること
②食品をはじめとした多くの消費税に減免措置が実施されていること
・2010年に地方選挙、2012年には大統領選挙を控え、抜本的な財政・税制改革は当面は難しいとされています。
現時点では欧州問題に対する不安が完全に払拭されたわけではありません。
したがって、短期的には明るい材料と欧州問題に対する警戒感が交錯し、ペソ相場は波乱の展開が続くことが予想されます。
また、欧州経済の低迷がグローバル経済に影響を及ぼすことが懸念されていますが、欧州は輸出入や銀行貸し出し等の大半を自分たちの地域で完結させている面があります。
これは、欧州経済がグローバルに与える影響が限られているということを示しています。


さらに、メキシコは米国の影響を強く受ける一方で、欧州を含めた他の地域との結びつきが少なく、経済構造的に欧州の影響は受けにくいとみられています。
ギリシャや南欧で騒がれている財政問題について、メキシコは2006年~2008年まで均衡財政をほぼ達成してきており、2009年に世界的な景気後退の影響を受け財政赤字はGDP2.3%と比較的財政は優良で、こうした材料もペソ相場を支援することに繋がると予想されます。

メキシコの歴史

紀元前2000年ころ、チョコレートの原料でも知られているカカオの歴史は、約4000年前に遡ります。
紀元前2000年ごろからメキシコ中心に中央アメリカで栽培され始めました。 当時のメキシコ人はカカオをすりつぶして飲んでいたんです。


メキシコの歴史のなかでカカオは重要なポジションにあります。
カカオはとても貴重で大切にされていたもので、7、8世紀ごろにマヤ文明が栄えた頃にカカオは「金のなる木」として崇められてなんとカカオの神が存在したといいます。


1519年のエルナン・コルテスの侵略によって先住民文化の歴史が途絶えてしまいました。
メキシコという国の歴史は、民族的・文化的にもすべてここで断絶してしまっていました。
一国家が異なる民族によって、先住民文明時代と侵略者文明とに分かれることになったのです。


メキシコの歴史にはその独立の達成以前から、同じ数千年の歴史のある日本との絆について記されています。
両国の関係は、1609年に377名を乗せたガレオン船のサン・フランシスコ号がフィリピンからヌエバ・エスパーニャへ向かう道中、日本近海で座礁した船の乗員達を現在の御宿町になった集落の住民が救助したことから始まりました。
テオティワカン、マヤなどの古代都市時代においても壁画は描かれていました。
スペインの植民地時代には教会に宗教的モチーフの壁画が描かれています。

メキシコの壁画運動と芸術家たち

1821 年におこる独立達成以後、政府の反教会政策によって一時壁画の文化は失われることになってしまいますが、その後メキシコの革命が終わる1922年に政府の文部大臣ホセ・バスコンセスが、画家達に壁画制作を提供したことをきっかけに、画家や彫刻家達が組合を結成して声明を出したことが壁画運動の始まりになったと言われていて、「万人のための教育と戦争の芸術」がモットーになっています。

メキシコの壁画運動の巨匠
ディエゴ・リベラ…1886~1957
ホセ・クレメンテ・オロスコ…1883~1947
ルフィーノ・タマヨ…1899~

メキシコと日本の関係

1609年9月、フィリピン諸島の総督、ロドリゴ・デ・ビベロを長とする一団の船はヌエバ・エスパーニャ(当時のメキシコ)へ帰国途中、千葉県御宿沖で遭難、村人の献身的な救助により、乗組員317人が救出されました。
ビベロ一行は地元城主や村人からの歓迎を受け、その後、徳川秀忠及び徳川家康に謁見しました。


翌年、徳川家康がビベロ帰国のために造らせた船はメキシコに向けて出航し、ビベロと共に渡航した京の商人ら20数名の日本人が、メキシコを訪問した最初の日本人となりました。
日本の時の為政者とメキシコの政府高官が対面し、初めての会談が行われた意義はとても大きく、2009年はメキシコと日本の400年目の交流にあたります。


日本とメキシコの両首脳は、2度に亘り開催された首脳会談において、2009年から2010年にかけての日本メキシコ交流400周年を祝賀しつつ、様々な分野で両国間の交流を促進することを合意しています。
 両国の交流が始まってから400年という長い歳月が経ち、これからも両国の関係を一層強化していくことが期待されています。

日本メキシコ友好親善大使

法学部2年の荒賀知子(あらが ともこ)さんが日本メキシコ友好親善大使として任命され、2月25日メキシコシティのホテル日航で行われた3月25日開幕の日本国際博覧会「愛・地球博」のメキシコ館記者発表会に出席しました。
メキシコとの放送文化交流事業に力を入れているKBS京都テレビが、昨年11月にメキシコで開催された世界空手道選手権で優勝した荒賀さんを取材したことがきっかけで、任命されました。


会場には、メキシコ政府観光大臣のナバーロ氏や在メキシコ日本大使館の西村六善大使など政府関係者が出席し、日本人とメキシコ人合わせて約80人が集まりました。
この日、荒賀さんは親善大使として挨拶、空手の演舞を披露し、現地テレビ局のインタービューなども受けました。
今後は友好親善大使として暫くの間、日本とメキシコを行き来することが決まっています。

メキシコのタコスについて

皆さんの想像するタコスはどんなものでしょうか?
タコスは、メキシコを代表する料理の一つです。
タコス(taco+複数形のs)の意味は「軽食」という意味で、日本で言うとオニギリが一番近いかもしれません。
メキシコ料理で、とうもろこしのパリパリの皮にミンチ肉や野菜を乗せて、辛いソースをかけて食べるのがタコス、というのが一般的に知られているところでしょうか。

タコスの食べ方

そのイメージのままタコス発祥の地であるメキシコに行ってみると、本物のタコスにとても驚いてしまいますよ。
なにせ本場メキシコのタコスの皮はアメリカのハードタコと違って固くなくてとても柔らかいんですよ。
しかも、何でもタコスに挟んでしまうのがメキシコ、お魚もお肉もお野菜も、なんでもタコスに挟んでしまいます。
トウモロコシの粉を薄くのばし、鉄板で焼いたトルティーヤはメキシコ料理には欠かせない、日本で言うお米と同じ様な存在なんです。


このトルティーヤに具を盛って、手で掴んで食べます。
メキシコでは、賑やかな通りにタコス屋台が沢山出ています。
くるくると回しながら焼く豚肉、パストールを鉄板の上で焼いたトルティーヤに乗せて渡されたり色んな具を自分で選べたりとタコスの形態は様々です。


想像していたタコスと違ったでしょうか?
では何故、 日本でイメージされるタコスはパリパリと固くて具はミンチだけなんでしょうか?
実はこのパリパリの皮のタコスはTEXMEX(テクスメクス)と呼ばれるアメリカのテキサス州で生まれた、メキシコ料理をアレンジした別の料理なんです。


アメリカでは国民色として有名なチリコンカーン(柔らかいインゲン豆にひき肉、タマネギ、トマト、チリパウダーを加えて煮込んだ物)なども、実はこのテクスメクスです。
バブル全盛期、アメリカからやってきたTEXMEXのタコスが日本で広まり、そのまま日本人のイメージするタコスが、「固くてパリパリの皮」になったのです。

メキシコの観光

●オアハカ
オアハカ市は、同名の州の州都で、4つの谷と1つの山脈を見渡せるすばらしい景観を堪能できる場所です。
気温は18度と温暖な気候に恵まれたオアハカ市はユネスコの世界遺産に指定されています。
ホテルにチェックインしたら、歴史地区の通りをぜひ散歩してみて下さい。
建造美を誇る数々の建物を見ながらオアハカの雰囲気を満喫することができます。


歴史地区には大聖堂のカテドラルや寺院、旧修道院、ラ・ソレダド教会堂など主だった建造物が立ち並んでいます。
ラ・ソレダド教会堂のメイン広場を囲むアーケードの前では民芸品の数々が売られています。
民芸品を見て回ってみるとその種類の多さと数に驚かされます。


プレイスパニカ文明のサポテカやミステカの古代首都モンテ・アルパン遺跡やミトラ遺跡へ行くツアー、サンタ・マリア・デル・トゥーレ村の有名な「トゥーレの木」や、市から数キロにある壮観なイエルベ・デ・アグア滝を見学するツアー等々がありますから、市の近郊の主要観光スポットを訪れる観光ツアーのひとつに参加してみることをお薦めします。


オアハカ市のアーケードにあるレストランでは、ご飯と豆料理、チーズを添えた美味しい鶏肉のモーレを食べることができます。
また、オアハカ産メスカルのおつまみにイナゴのフライを焼きたてのトルティージャで食してみてはいかがでしょうか。
美味しい料理を堪能した後は、ラ・セクスタ・カジェ・デ・ガルシア・ビヒル通りにあるカサ・デ・フアレス博物館を観に行ってみてください。
この博物館では「ベニート・フアレス」の独立改革フランス殖民期の資料などの貴重な品々を見ることができます。

ベラクルス

ベラクルス州はメキシコ東部、メキシコ湾北部に位置しています。
北はタマウリパス州から南にオアハカ州、西のサンルイス・ポトシ州と隣接しており、東にビジャエルモサの町とメキシコ湾が広がります。
熱帯気候のベラクルス州にシトラルテペトル火山や、メキシコで一番標高の高いオリサバ山など風光明媚な場所があり、ここならではの建築様式を保存している町や村の美しさも印象的です。


商業都市であるベラクルスでは、博物館に改装されているサンファン・デ・ウルア要塞を訪れたり、毎年カーニバルの会場となる海沿いの遊歩道のマレコンを散策したりできます。
庭園や広場では、夜になるとダンソンというエキゾチックな踊りが披露されます。
町には音楽やカラフルな民俗文化があふれています。


パパロアパン川の岸辺にあるトラコタルパンの町では、可憐なセントロ・イストリコ地区の町並みに魅惑されます。
UNESCO世界遺産に登録されているこの町は、カンデラリアの聖母に捧げる海中行列でも有名になっています。
ベラクルス州では、ベラクルス港の北、テコルトラからナウトラまで50kmの海岸コース「エスメラルダ海岸」の散策ができます。


また、UNESCO世界遺産であるエル・タヒン遺跡を訪れれば、先スペイン期の歴史に親しむことができます。